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公開日:2018.02.05 更新日:2020.05.199897view

知ってそうで知らない鍼灸医学のはなし

鍼灸雑話 その1

鍼灸医学の世界へ

みなさま、初めまして。 
今日からコラムを書かせて頂くことになったクマ先生こと鍼灸師の山本です。

漢方というと、漢方薬や薬膳を思い浮かべる方が多いと思いますが、実際には「漢(中国)の方術(医術)」という意味で、鍼や灸や按摩、外気治療も漢方医学の中に含まれます。せっかくですから、私のコラムでは鍼灸医学を中心とした話を書いていきます。

まず最初に「鍼は刺すことだけが能ではない」ということを、知っておいてください。
鍼の目的は「通」にあります。その意味は、気血を巡らせ、経絡を疎通させ、臓腑の働きを正常化させることを目指すものです。ですから、鍼を刺すことは必須ではなく、目的が達成されるなら「爪楊枝」でも「指」でもよく、道具は使い方ひとつで鍼になります。
例えば手首の「列缺(れっけつ)」というツボに鍼を接触させる(つまり刺さない)と、ぎっくり腰がよく治ります。逆流性食道炎などは「足三里」がよく効きます。

古代の「医術」はもともと「巫術(ふじゅつ)」ともいいました。「医」は「毉(い・くすし)」とも書きますが、この中に「巫」という字が入っていますね。
巫術を行う医師を「巫医」といい、符(御札)や祝(祈り)などを用いて治療をおこなったといいます。これを「祝由(しゅくゆ)」とも呼び、明(1368~1644)の医療制度には「祝由十三科」があらわれます。

日本では奈良時代の咒禁師(じゅごんし)や、平安時代の陰陽師(おんみょうじ)がこの流れを汲みました。

佛教とともに日本へきた鍼灸医術

太古の時代、中国には三皇五帝時代があったそうです。
天地の法則を「陰陽・八卦」という記号を用いて説明した「伏羲(ふっき)」、医薬や農耕の神とされる「神農(しんのう)」、医術の始祖とも言われる「黄帝(こうてい)」などが世界を治めた時代です。

やがて神話の時代が終わり、黄河・長江文明、夏・殷・周といった時代を経たのち、秦の始皇帝が中国を統一します。しかし、項羽があらわれ秦を滅ぼし、その項羽を劉邦がやぶり漢(紀元前206年~紀元後220年)を建国します。
漢の時代には、黄帝の名を冠した「黄帝内経」という医学書が書かれ、その中の「霊枢(れいすう)」は「鍼経(しんきょう)」とも呼ばれ、経絡や鍼灸医術について細かく書かれています。

日本における鍼灸医学の伝来時期は不明のようですが、弥生時代あたりから朝鮮を経由して漢字や医術が伝えられ、飛鳥時代から奈良時代になると佛教とともに大陸医術、医薬、医学書が輸入されました。

やがて京に都を移し平安時代がスタートします。
当時の律令制度の中に「鍼医」「鍼博士」という役職が作られ、彼らが当時の医学の一端を担っていきます。日本最古の医学書と言われる「医心方」が書かれたのもこの頃です。
やがて律令制は崩壊し、鍼医たちは表世界から離れ、独自の世界を進むことになります。

安土桃山時代には、日本漢方の中興の祖といわれる「曲直瀬道三(まなせどうさん)」が漢方薬だけでなく鍼や灸も用い、江戸時代には徳川将軍家へ仕える鍼医もあらわれます。
しかし、明治維新と共に再び表世界から姿を消し、徒弟制度の中でその技術を伝えながら今に至ります。

身近にあるのにあまり知らない鍼灸の世界を、このコラムから少しでも知って頂ければと思います。
ではまた来月!

山本 浩士
山本 浩士 - Hiroshi Yamamoto

鍼灸師(厚生労働大臣免許・国家資格) 兵庫県西宮市出身。

幼少より武術修行を始め、師より医武同源の考えを教わり、武術と医術の両立を志す。

高校卒業後、大阪のアクションチームに所属し、映像や舞台などで仕事をする。

2009年、はり師・きゅう師の国家資格を取得し、地元兵庫県西宮市で「はり灸楊鍼堂」を開院。千葉の恩師から、参禅や滝行の修行を通して伝統医術を学ぶ。また、数名の先生から江戸時代の鍼術や道家気功鍼などを学び、難病や慢性疾患に対する臨床経験を多く積む。2015年に東京へ移転。2016年から、ポーランドやイタリアで鍼灸、気功、武術、導引按腹の出張講義を開始。2017年11月から、自由が丘で「漢方鍼灸 和氣香風」を妻とともに開業。

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